2019年に参議院議員選挙に立憲民主党公認で立候補し初当選、
国会議員としてアクティブな活動をしてる田島麻衣子さん。
元国連職員としての経験を活かし、誰もが「生きていてよかった」と
思える社会のためにと政策を掲げています。
今回は、田島麻衣子議員のwiki経歴、旦那や子どもについて、
まとめてみたのでお伝えします。
田島麻衣子のwiki経歴・学歴
田島麻衣子議員の学歴や経歴について紹介します。
田島麻衣子のプロフィール
名前:田島麻衣子(たじま まいこ)
生年月日:1976年12月20日(2023年6月現在46歳)
出身地:東京都大田区
職業:国会議員
所属政党:立憲民主党
特技:フェンシング 灼熱の難民キャンプでも生きていける事
好きな食べ物:あんかけスパ 餃子
特技が灼熱の難民キャンプでも生きていけることとは、頼もしいです。
好きな食べ物もあんかけスパや餃子など、親しみが湧きますね。
田島麻衣子の学歴
・小学校、中学校はどこか調べましたが、情報がなく不明でした。
・1992年4月 青山学院高等部入学。高校時代はフェンシングに熱中、高校2年時には、私立高等学校フェンシング大会2年女子の部で準優勝しています。
・1995年4月 青山学院大学国際政治経済学部入学。3年時に、正規交換留学生として、ワシントン州立大学に留学しています。
・青山大学卒業後に就職しますが、退職しオックスフォード大学院に入学し2005年6月に修士課程を終了しています。
田島麻衣子議員は、高校時代からガンコだったと語っています。
高校時代に始め熱中症したフェンシングは、
同期で入った仲間が全員やめてしまっても一人で練習を続け、
準優勝までしています。負けず嫌いで強い気持ちをもっていたのでしょうね。
大学在学中は同期とともにスタディツアーでフリピンに渡航、
訪れたスモーキー・マウンテンで貧困問題に直面し国連に関心を持つようになったことが、
その後の人生の転機となったということです。
田島麻衣子の経歴
・1999年4月:新日本監査法人に就職.。
・2003年6月:新日本監査法人を退職。人道支援団体「日本緊急救援NGOグループ」(現・特定非営利活動法人ジェン)に転職。イラク難民支援プロジェクトの会計を担当した。
・2005年6月:オックスフォード大学学院修士課程修了。
・2006年1月: 国連世界食糧計画に勤務。
ラオス、アルメニア、エジプト、南アフリカ共和国などに赴く。
・2019年7月:立憲民主党参議院に出馬し、見事当選を果たす。
大学在学中滞在したフィリピンでの貧困問題に直面したことをきっかけに、人道支援や難民支援に
長い間関わってこられた田島麻衣子さん、
最後の勤務地南アフリカでは、管轄12カ国で行われていた全人道支援プロジェクトを対象に、
SDGsの効果測定を主導したという経験を持っています。
世界の貧困や食糧問題に対して幅広い支援を続けてこられたようです。
きっと、たくさんの命を救うために尽力したのでしょうね。
田島麻衣子の旦那や子どもについて
田島麻衣子議員のご家族について紹介します。
田島麻衣子の旦那は?
田島麻衣子さんは、国連職員として働いていた30代半ばに、その頃の同僚の男性と結婚しています。
結婚のことに関して、インタビュー記事で次のように語っています。
もう一つキャリアの転機となったのは、30代半ばで結婚したことです。
それまではキャリア一筋で進んできましたが、結婚後はキャリアを一時停止することを選び、夫と暮らすためにアルメニアへ移住。
アルメニアに住みながらメールやインターネットを使って、各国に散らばるチームメンバーと仕事をしました。
引用:Age2828歳から、今の私につながるキャリア
結婚した旦那様は国連職員ということですが、名前や年齢等の情報は公開されていません。
田島麻衣子さんにとっては、結婚もキャリア転機の一つなのですね。
田島麻衣子の子どもは?
田島麻衣子さんには、2023年5月現在5歳の息子さんががいます。
名前は公開されていません。
2023年4月に小学校に入学したことや、母の日の息子さんとのエピソードなどを
SNSで投稿しています。
田島麻衣子さんは、自身の子育ての経験を踏まえ、働く女性として、
「女性が子どもを産みたい時に産み、働き続けられる環境づくりを進める」と訴え、
多くの支持を得ています。
女性が子育てを行いながら、働き続けられる環境を整えるために、
活動を続けていただきたいと思います。
まとめ
今回は、田島麻衣子さんのwiki経歴、
旦那様やお子さんのことについて紹介しました。
田島麻衣子議員の今後のご活躍を期待しています。
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